市川の
大きな独り言、小さな叫び



[2020.11.23 Tu]

学生、それとも生徒?

 小学生は児童、中高生は生徒、そして高校卒業以降の学校では学生と呼ぶ、のが当たり前だと思っていた。高校を卒業した後ではどんな学校に通う者でも自分達を学生と称していた。それが10年くらい前からだろうか、自分のことや大学生一般に対して “生徒” を使う “学生” が少しづつ増えてきたように感じる。それも授業アンケートや投書など、大学の中の一応、公式とも言える場でのことである。彼らの意識は良くも悪くも高校生の頃とあまり変わっていないように感じる。これに対して “彼らはそのような教育を受けてきたのだからしょうがないよ” と温かい目で見る大学教員もいるが、とんでもないことである。

 大学進学率の上昇に伴う大学生の幼稚化は仕方がないが、今も昔も高校と大学ではあらゆることが全く違うのである。ここで、日本の教育基本法の条文を見ると以下のように書かれている。

第四十五条 中学校は、小学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、中等普通教育を施すことを目的とする。

第五十条 高等学校は、中学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とする。

第八十三条 大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。

 すなわち、『大学は、高等学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高等教育を施すことを目的とする』わけではないことがこの条文から分かる。そもそも学校としての成り立ちや目的が初等・中等教育とは異なっているのである。

 この点を理解出来ないまま卒業したならば、大学卒業の価値はないと言っても良いだろう。たとえば、高校生と大学生では勉強の仕方も異なってくる。高校までの優等生が大学でも同じように勉強に取り組んで成績不振者になることも全く珍しくない。ではどうすれば良いか。その解決方法は自分で見つけるしかないのである。他の誰かの助けを借りることも含めて。ものの考え方ややり方は人により異なるため、ある人の最適な方法が他の誰かにとって有用と言う訳ではない。

 大学では所属する学部や学科、コースに特有の専門教育を受けるわけだが、そこで開講されている講義の内容を勉強して身に付けることが第一の目的では決してない。大学とは、自分が受講する各科目を通じて勉強する方法を身に付ける場所なのである。大学の学部は4年間、博士後期まで言っても僅か9年間にすぎず、その後の職業人としての人生の方がはるかに長いわけで、大学で得た知識だけでその長い期間を生き延びて行くことなど不可能である。自分の知らないことに出会う度に自分で学んで対処するしかない。このあたりのことは、大学卒業後も大学と言う社会の中で過ごしている大学の先生よりも、学校の外の世界で働く大多数のサラリーマンなどの方が良く実感していると思う。