市川の
大きな独り言、小さな叫び



[2018.3.19 M]

卒論研究室の選択

 今は学会・研究会のシーズンである。この時期、色々な大学の同業者達と顔を合わせると、4年生の研究室配属が良く話題になる。配属の方法、学生の悲喜こもごも、・・・。今も昔も学生達は相当に真剣である。まるで希望の研究室に入れるかどうかで人生が左右されるかのように。(実際は、そんなことは決してないのだが。)第一希望の研究室に配属が決まった学生の中には、嬉しさを隠し切れず胸を張って肩で風を切るがごとく闊歩する者もいる。

 私が学生をしていた遠い昔から今日に至るまで、“○○研究室には優秀な学生が集まる” との言葉を良く耳にする。さらにもっとはっきり、“うちの研究室には代々、出来の良い学生が集まるんですよ” との声も時折、聞こえて来る。この数年、これに関して考えることがあった。 (追記1)

 学生に人気のある研究室は、確かに、ある。(但し、配属学生の関心はその年度だけなので、過去や未来の人気はどうでも良いだろう。)人気が有ると言うことは希望者が多い訳だから、何らかの成績評価を用いるにしろ、単純に抽選するにしろ、配属争いは激しくなる。私の学生時代はまだのどかで希望者が定員を越えるとほぼ抽選で決めていたが、昨今はそれでは許されないのか、学業成績順に決める場合が増えているようだ。(なお、私の今の勤務先の学科では、成績だけではなくかなり細やかな配慮をしている。今日の話題はその配属方法ではないので、ここではその詳細は述べない。)

 長い年月、沢山の学生達を見ていると、成績の良い学生は、競争に敏感なのか、何らかの意味で他人より上に居たいのか、人気の研究室を志望する傾向が強いように感じる。(他大学の話を聞いても、同じ傾向のようだ。)研究内容や指導教員に惹かれて、と言う純粋な気持ちの学生も勿論いるだろうが、多くはどうも “人気があるから”、さらに “成績の良い自分は人気のある所を目指すべきだ”、“出来る学生は、大体、そう言う研究室に進むことになっている” と言う意識(や人によっては無意識)に突き動かされているのではないかと思わざるを得ない。 要するに、研究テーマに対する関心ではなく、競争が競争を呼び、人気が人気を呼ぶのである。有名タレントのイベントやブランド品のバーゲンセールとさして変わらない、全く、今に始まったことではない人間の行動がそこに見られる。 (追記2)

 一方、人気や他人の動向とは無関係に、自分なりの理由をもって特定の研究室を志望する学生もいる。また、競争に敗れて別の研究室に “不本意配属” になる学生もいる 。冒頭で述べたように、卒業研究の配属先でその後の人生が左右されることはない。しかし、配属になった研究室でどのように1年間を過ごすかで、人生が変わることは十分に有り得る。一人ひとりの学生にとって、楽しみでもあり、恐ろしくもある1年になることだろう。(なお、後者の場合、それに気付くのは卒業して何年か後になるはずである。)


追記1 [2018.3.20 Tu]
 ある特定の研究室で卒業研究をするためには “成績優秀” でなくてはならない、との必然性などない。

追記2 [2018.3.20 Tu]
 多数の成績優秀者がある特定の研究室を志望した場合、普通の学生が気後れしたり怖じ気づいたりでその研究室を敬遠し、結果的に “成績優秀者の集まり” の様相が強調されることは起こり得る。