OPTRONICS 2017年11月号 Vol.36 No.11 pp.162-165

(OPTRONICS編集部の許可を得て掲載)

EOS DO2017 参加報告

愛媛大学 市川 裕之

1 はじめに

 European Optical Society (EOS (*1) ) の主催する Topical Meeting on Diffractive Optics 2017(9月4日 -- 7日)に出席したのでその様子を報告する。

 この会議は1992年にICOやSPIEもスポンサーとして加わり当時チェコスロバキアのPragueで開催された Workshop on Digital Holography (*2) が基点である。 発表数わずか21件のこの小さな会議は C. H. F. Velzel (Philips) の発案を受けて F. Wyrowski (当時 Univ. Essen) が企画したと記憶している。1995年にその続編が Workshop on Diffractive Optics としてやはり Prague で開催された。冷戦時代の終結直後で、当初の会議の趣旨として東西ヨーロッパの研究者の交流が強く意識されており、この考え方はその後も引き継がれていた。そして1997年の Savonlinna での開催から EOS が主催となった現在の形が出来上がり、以後、99年 Jena, 01年 Budapest, 03年 Oxford, 05年 Warsaw, 07年 Barcelona, 10年 Koli, 12年 Delft と8回続いて来た (*3) 。 実は2014年にもポーランド開催で講演募集・投稿受付までしていたのだが、運営面でうまく行かず中止になってしまった。その代わりとして European Optical Society Annual Meeting (*4) を構成する Topical Meeting の一つとして、回折光学の会議が2014, 2016年に共に Berlin で行われている。その際の発表件数はそれぞれ48, 33であった。

 回折光学に特化した会議の必要性は関係者の間では望まれており、EOSの後押しもあり今回、フィンランド東部カレリア地方の中心都市 Joensuu での復活開催となった。初期の会議の実質的主宰者であった Jari Turunen (Univ. Eastern Finland) と Frank Wyrowski (Univ. Jena) が20年の時を経て再び会議の中心に戻って周到に準備を進めて来たようである。

*1:略称は“イオス”ではなく“イーオーエス”である。
*2: Proc. SPIE 1718. ただし、digital holography の用語はこの当時は計算機ホログラフィーを主に意図して用いられていた。
*3:O plus E, Vol.21, No.11, p.1382 (1999), Vol.23, No.12, p.1435 (2001), Vol.25, No.12, p.1374 (2003), Vol.27, No.11, p.1295 (2005), および Optronics, Vol.27, No.2, p.142 (2008), Vol.29, No.5, p.121 (2010), Vol.31, No.5, p.135 (2012) 参照。
*4: 略称 EOSAM で、少々奇異だが、2年に一度の開催である。

2 会議の環境

 会場となったのは Joensuu 中心を流れる川 Pielisjoki の中ほどに位置する小島(図1)にあるレストラン Kerubiである(図2)。この付近の川幅は 300 m 強で、宿舎となった幾つかのホテルからはいずれも徒歩10分以内と便利な場所であった。酒食もさることながら、バンド演奏をはじめとする音楽関係の催事での利用に定評がある場所のようである。講演初日の開会前に講演会場を最後尾から撮った写真が図3である。椅子の数は100弱で、大きなスクリーンが比較的低い場所にあったため、平らな室内にも関わらずどの場所からでも上を見上げることなく表示内容が楽に見られた点がありがたかった。ここはレストランのメインの演奏会場と見えて、部屋の後方には大きな音響装置・設備が床に置かれていた。ポスターセッションはその空きスペースで行われた(図4)。コーヒーブレークや昼食は貯蔵庫を模した地下の食堂で供された。なお、レストランの外観は図5のようにゆったりとしたものだが、ちょうど会期中は小島の環境整備のための全面的な土木工事が行われていたので外には出られなかった。会議の1セッションは4講演(80〜90分)で構成され、セッション間休憩は20分だがずるずると延びがちなため、毎回、主催者が地下の食堂に下りてきて銅鑼をならして帰室をうながしていた。また、昼食の休憩は海外では短めの80〜90分で、しかも7〜8月を通じた(現地住民も不平をもらすような)冷夏の続きで気温も6〜15度程度と寒かったため、非喫煙参加者はほぼ1日中、建物内にこもった状態だった。ポスターセッションは講演初日の最終口頭セッション終了直後の17時開始で、参加者一人当たり2杯の無料ドリンクとおつまみが饗されつつ、狭い場所ながら延々20時まで続けられた。

3 会議の概要

 講演初日を翌日に控えた9月4日の夜に、Joensuu 市庁舎でレセプションが開催された。その席上で L. Hazra (Univ. Calcutta) によるインドの光学に関する基調講演が行われた。レセプションとの組み合わせはめったに無いことなので、筆者は少々、驚いてしまった。

 例によって、全講演を筆頭著者の所属に従って分類した国別発表件数を表1に示す (*5) 。今回も主催者による内容の分類がなされていなかったため、筆者の判断で分類を行った。およその目安と考えていただきたい。まず、基調講演と6件の招待講演を除く、一般講演は口頭・ポスター各27件と過去最少だった。10年前のような数には至らないとは思っていたが、筆者の予想よりはかなり少なかった。2週間前に東京で開催された ICO-24 の影響もあったのかもしれない。ただ、主催者側は会場の大きさから考えて程よい講演数と感じていた風もある。

 国別に見ると、毎度のことながら開催国(今回はフィンランド)が一番多い。ことに地元の University of Eastern Finland はある意味で世界の回折光学の中心とも言えるため、まあ当然だろうか。またドイツからの発表が相変わらず多い。この2カ国を除けば、各国とも数件づつで、講演数だけでなくほぼそれに比例する参加者数・参加国数ともに減少していてある意味、寂しいと感じたことも否めない。距離的な理由なのかフランスからの発表は大きく減り、スペインからは参加者すらいなかった。

 一方、発表内容に関しては、これまで回を追うごとに増えていた応用に関するものは減って、プラズモンや軸対称ビームに関連するものをはじめとして、回折光学の物理的な側面により直目したものが多かったような印象を受けた。事実、開会の挨拶で Wyrowski は“回折光学だけでなく他の分野との関わりをもっと重視したい”と語っており、招待講演も含めて回折光学とはちょっと離れた内容の講演もある程度見られた。

*5:口頭2件のキャンセル分は除いている。

4 注目の内容

 今回、一番注目を集めたのは A. Junker (Univ. Heidelberg) による High mode count rigorous simulation of diffractive optical elements by an iterative solution approach と題する講演であろう。回折光学で最も使用されている電磁気学的数値解析方法であるフーリエモード法では、大きな構造を解析するには計算に使用する次数を増やす必要があるが、メモリーおよび計算時間による制限が生じる。Junker は反復的なアルゴリズムを用いてこの問題を解決し、適用構造厚に制限はあるもののフーリエモード法では到底、不可能な問題を計算可能であることを示した。講演を聴いていたフーリエモード法の大家である L. Li(清華大)は質疑応答時間では一言も発せず、セッションが終わるや Junker にかけよりコーヒーブレークの休憩が終わって次のセッションが始まるまで掴まえていた。筆者も後刻、Junker と話す機会があったが、彼はドクターの学生で、今回のアイデアは指導教員ではなく彼自身が今年初めに思いついたものであり、未だどこにも発表していないとのことだった。論文による発表が楽しみである。

5 おわりに

 科学や技術の進歩を考えると同じテーマで20年以上も続く topical meeting は珍しいのではないか。実際、OSAでは回折光学に関する会議は2004年を最後に消滅している。今回の参加者で20年前の会議に出ていたのは10名に満たない。参加者の新陳代謝は毎回少しづつ進んでいるものの、回折光学研究者のこの会議を維持したいと言うある種の愛着もあるのだろうと思われる。回折光学の原理的なアイデアはそろそろ底をついていそうだが、それ故かより物理的な部分への動きも感じられる。その一方で、多くの光学技術者にとって回折光学は今や当たり前になりすぎて、応用に関する発表は、回折光学の原理や物理に重点があるのでなければ、むしろ別の場所に移って行くのではないだろうか。


以上
(表1,図1〜5:省略)