OPTRONICS 2010年5月号 Vol.29 No.5 pp.121-124

(OPTRONICS編集部の許可を得て掲載)

EOS DO2010 参加報告

愛媛大学 市川 裕之

1 はじめに

 European Optical Society (EOS (*1) ) の主催する Topical Meeting on Diffractive Optics 2010 (*2) (2月15 --18日)に出席してきたのでその様子を報告する。これは、Optical Society of America の Topical Meeting on Diffractive Optics and Micro-Optics が2004年で幕を閉じた今、回折光学に特化した世界で唯一の会議である。

 92年 Prague, 95年 Prague, 97年 Savonlinna, 99年 Jena, 01年 Budapest, 03年 Oxford, 05年 Warsaw, 07年 Barcelona (*3) に続くこのシリーズ第9回で、通常のスケジュールに従えば 2009 年秋の開催のはずだが、EOS は何を考えてか、厳冬期のフィンランドでの開催となった。

*1:略称では“イーオーエス”である。日本では“イオス”と言われることも多いが、現地では誰も使わない。
*2:会議のサイト http://www.myeos.org/events/koli で最終プログラムを見ることが出来る。
*3:O plus E, Vol.21, No.11, p.1382 (1999), Vol.23, No.12, p.1435 (2001), Vol.25, No.12, p.1374 (2003), Vol.27, No.11, p.1295 (2005), および Optronics, Vol.27, No.2, p.142 (2008) 参照。

2 得がたい体験

 会場はフィンランドにおける光学の中心地、ヨエンスウ (Joensuu) から北に車で約70 km 離れた北緯63度の位置にある国立公園の中の Koli mountain の頂上近くのホテルである(図1)。平地ばかりのフィンランドではたかだか海抜347 m の丘程度のものでも(日本式に言えばアルペン)スキーも出来る、1年を通じてアウトドアの魅力満載の地である。ホテルのレストランからは図2のような美しい景色がひろがっている。(この地域は西カレリア地方と呼ばれており、ロシア国境まではおよそ50 km である。ちなみに、東カレリア地方は現在、ロシア領となっている。)その絶好の地のホテルを全館貸切にしたのだが参加登録者が当初の予想50 名を大きく超える95 名となって部屋が足りなくなり、地元の学生をはじめとする残りの一団は7 km ほど離れたコッテージに滞在し、そこから通う羽目になったとのことである。その一方、予約の早かった筆者には同じ料金でスィートルームがあてがわれ、毎朝、自室に付属した個室サウナを楽しむことが出来た。国外からの参加者はほとんど冬の北欧の経験のない人々ばかりで、“怖いもの見たさ”も手伝ったのかもしれない。申し込みの際には、今年の冬が近年まれに見る厳冬になるとは誰も予想していなかったと思うが。

 ホテルの玄関から100 m ほど歩いたところに、普段は観光客向けの資料展示や土産物販売をしているビジターセンターがあり、その2階に図3のような立派な会議室がある。急勾配の座席のためどの席からも良く見えるが、スクリーンが少々大きすぎてあまり前に座るとかえって見づらいと感じた。ヨーロッパには珍しく各座席に固定式の机が設置されてはいるが、おそらく会議のスライドではなく映画を主たる目的として設計されたように思える。

3 基本に立ち戻る?

 会議は Erez Hasman (Technion, Israel) による、光子のスピン−軌道相互作用に関する基調講演から始まった。また、研究分野の将来の方向性に対する主催者の意図を映し出す招待講演は半日あたり1件の割で、回折光学を取り込んだ統合設計ソフト、視覚のための補償光学、微小光学、レーザーディスプレイ用半導体レーザー、レーザープロジェクション、DUVリソグラフィーの計6件であった。

 一方、“招待講演の多い講演会はおもしろくない”と言う意見もしばしば耳にするように、一般講演こそ講演会の主菜である。この EOS DO のシリーズも招待講演が入ってきたのは1999 年の Jena 大会以降である。 例によって、筆頭著者の所属に従い、口頭43件、ポスター33件の一般講演の国別発表件数を表1に示す (*4) 。分類のなかったポスター発表は筆者の判断で分類した。2003年の Oxford 大会から続く傾向で回折光学の応用に関するものが 1/3 を超えているが、今回は、物理光学・散乱・偏光の独立したセッションが設けられており、より基本的な物理現象にも重点を置く発表が増えたように感じた。昔は、ほぼ解析、設計、作製、応用の順に口頭発表があったものだが、今回はそれらの前に前述の物理光学等のセッションが組まれていたことは非常に興味深い。また、前回開催地のスペインは視覚光学のメッカとされているが、その影響か、独立した視覚のセッションが設けられており、前回の招待講演者が一般講演を行っていた。こう言ったところにも分野の発展が感じられる。

 国別では、フィンランド、ドイツ、フランスの御三家とそれに続くスペイン、ポーランドのほかにオランダからの発表の急増が目を引いた。これを裏付けるように、閉会の際に発表された優秀な学生発表賞は、口頭部門が T. M. de Jong (Eindhoven Univ. Tech.) の“Surface relief and polarization gratings for solar concentrators”に、ポスター部門が J. Suszek (Warsaw Univ. Tech.) の“Spatially segmented Fourier hologram for Head-Up Display”に与えられた。もう一点、所属機関別に見ると、地元 Joensuu のグループからの12件と圧倒的に多い発表は当然として、注目すべきことは、全76件の講演の筆頭著者の所属は18ヶ国の41機関に及んでいる点である。これは回折光学と言う限られた分野の講演会としては、非常に広範な人的広がりをもっていることを示している。

 筆者の専門の解析・設計に関しては、当代を代表する L. Li(清華大, 中国)と G. Granet (Univ. Blaise-Pascal, France) のほか、オランダの若手 M. Pisarenco (Eindhoven Univ. Tech.) からもフーリエモード法 (Fourier modal method: FMM) の効率化・高機能化・高性能化に関する発表があり、非常に聞き応えがあった。なお、L. Li は“FMM の別称として使われているrigorous coupled wave analysis (RCWA)は手法の本質を表したものではないため使用べきではない”との従来からの考え方をあらためて主張していた。

*4:口頭1件、ポスター7件のキャンセル分は除いている。

4 写真撮影と学会文化

 国際会議に参加すると、いろいろと文化の違いに直面することがある。今回の会議で、どうにも我慢が出来ないことが一つあった。それは講演中の写真撮影である。この件について実行委員長のほか、出席中の EOS President や ICO Bureau 経験者に疑問を投げかけたのだが、いずれも“アメリカでは写真撮影全面禁止の会議もあるが、ヨーロッパでは問題になったことはない。EOS でもこの件に関する公式なルールはない。写真を撮られるのが嫌なら自分の講演前にそう言えば良い。”などといたっておおらかで、全く気にかけていない。しかし、今回、筆者が目撃した若い学生は、全講演者の全スライドをデジタル一眼レフカメラで撮影しているのである。アニメーションが入ったスライドでは進行に合わせて1枚のスライドで何枚もの写真をディスプレーで確認しながらシャッターを押している。当然、大きなシャッター音が会場中に響きわたるわけだが、そばに座った複数の指導教員達は何も言わない。翌朝、くだんの学生が私の目の前の席に座って同じことを始めたときには、さすがにやかましいと文句を言って止めさせた。一人こう言った人間がいると伝染するようで、他にもデジカメで写真やビデオ撮影を始める参加者が現れ出した。(もっとも、ドイツ、フランス、北欧と言った国からの参加者が講演スライドの写真撮影をしているのは、どこの会議でも筆者は未だ見たことがない。)

5 寒さに負けず

 会期中、唯一の social event として2月17日の午前中の3時間が北欧の冬に親しむための“Outdoor Activities”に割り当てられていた。希望者は事前に、氷上の犬ぞりツアー、スノーモービルツアー、湖の氷を割っての魚つり、クロスカントリースキー、ダウンヒルスキー、かんじきをはいての山歩き、などを(用具、防寒服込みで)予約するわけである。数年来の厳冬に加えて当日は朝から快晴で、したがって放射冷却のため、 ちょうど Outdoor Activities の時間帯の気温は -30〜-20℃であった。このくらいの気温になると、用心をしていてもデジカメのバッテリーはあっという間に消耗してしまう上に、シャッターを押すために30秒ほど右手の手袋をはずす動作を何回か繰り返すと、右手の感覚が麻痺してくる。

6 会議の魅力と将来

 今回のような缶詰型の会議の魅力は、めったに会えない他の参加者達と常に顔を会わせていられることであろう。研究活力のある人ほどこう言った機会を存分に活用しているようで、レストランやバーのテーブルでノートを広げて話し合う光景も頻繁に見られた。(まあ当然だが)国際会議に良くある家族同伴者も今回は筆者の知る限りでは一人だけであった。ほかにすることもないため、夜の時間帯に設定されたポスターセッション(図4)も終了時間が過ぎても混雑が続く盛況ぶりである。ある実行委員はこのような会議の様子を“This is a very good community now, and I want to keep it.”と表現していた。その言葉を裏付けるように、閉会の際に、次回の会議が(おそらく2011年の秋に)オランダのデルフトで、さらに次々回は再度、ポーランドで開催されることが発表された。

7 おわりにかえて

 最後に、この会議の参加者に関係したヨーロッパの大学の最近の動きを紹介しておきたい。まず、2010年1月をもって地元の University of Joensuu は隣接する(とは言っても、直線距離でさえ 110 km 離れている)Univeristy of Kuopio と合併して、あらたに University of Eastern Finland (*5) となった。また、フィンランドの科学技術界をリードしてきた Helsinki University of Technology も同時期に、経済系および芸術系の大学と合併して(フィンランドの世界的建築家 Alvar Aalto の名を冠した)Aalto University となった。いずれも集中と強化が目的とは言うものの、今ある組織の上に新たな層の管理職を増やすだけで良い方向に向かうとは思えない、との声が目下のところ強いようである。

 次にスイスでは、現 EOS President の H. P. Herzig の所属する Institut de Microtechnique が 2009年1月に、場所はそのままで Université de Neuchâtel から Ecole Polytechnique Fédérale de Lausanne に組織が移ったほか、ドイツでは、University of Mannheim が社会科学に集中するため 2008年にやはり場所や建物はそのままで他の学部をすべて Heidelberg University に移管したとのことである。理由は、いずれもフィンランド同様と話していた。ともあれ、移管対象となった教員は、日々の研究活動に変わりはないものの、あらたに管理者となった遠くの大学に出かけて授業をすることとあいなった。

*5:統合されたあらたな Faculty of Science and Forestry の Dean には、日本にも知己の多い T. Jääskeläinen が就任した。



以上
(表1,図1〜4:省略)