O plus E 2005年11月号 Vol.27 No.11 pp.1295-1297

(O plus E編集部の許可を得て掲載)

DO2005 参加報告

愛媛大学 工学部 電気電子工学科 市川 裕之

 ポーランドの首都ワルシャワの中心部にあるワルシャワ大学の本部キャンパス(図1)で,9月3〜6日にかけて、European Optical Society (EOS) 共催の Diffractive Optics (DO2005) が開催された (注1) 。 92年 Prague, 95年 Prague, 97年 Savonlinna, 99年 Jena, 01年 Budapest, 03年 Oxford に続く第7回であるが,今回でこの会議もこれが最後ではないかとの噂が開会前から広まっていた。はたして,開会の挨拶の中で、Wyrowski(Univ. Jena, ドイツ)は“同じテーマの会議を10年以上も続けてきたこの会議は回折光学の発展に大きく貢献してきた”ことを強調するとともに,今後のありかたについては参加者皆で議論したいとの提案がなされた。また,同じく隔年で開催されてきた Optical Society of America (OSA) の Topical Meeting on Diffractive Optics and Micro-Optics (DOMO) も,おそらく昨年の会議をもって終了になるはずだとの情報も合せてもたらされた。

注1:O plus E, Vol.21, No.11, p.1382 (1999), Vol.23, No.12, p.1435 (2001), および Vol.25, No.12, p.1374 (2005) 参照

 なお,会議に先立って,ポーランドにおける光学研究者の活躍を示すものとして,今回の実行委員の一人であるProf. Katarzyna Chałasińska-Macukow が,ワルシャワ大学の学長 (Rector) に選ばれたことが,現地実行委員長の Jaroszewicz(Institute of Applied Optics, ポーランド、図2)から参加者に紹介された。ポーランドの大学としては始めての女性学長だそうである。

 今回の会議の講演の内訳は表1の通り。ポスターの分類については筆者が判断した。また, 参加者数については, 筆者が時折,会場で数えたところ,最多で70名以上,最少となる最終日の午後でも50名程度はいたようだ。

 表1からもわかるように,前回(2003 年,Oxford, 英国)とはうって変わり,基礎的な理論や計算といった基盤的な内容の豊富な会議となった。この件について,前回の現地実行委員長をつとめた Laczik(Univ. Oxford, 英国)に聞いてみると,前回は彼の志向もあって,意図的に回折光学の応用が多くなるように仕向けたのだという。

 今回は,なぜだが分らないが,会議の予稿集の提出が会議の終了1ヵ月後と言う変則で,会議の現場ではアブストラクト集だけの配布となっていた (注2) 。 筆者の知る限り,これに関する不満の声は出ていなかった。また,すべての招待講演が50分と長いのが特徴で,良い発表の場合は非常に有意義だったが,そうでない場合には,冗長でちょっと退屈になると言う問題があった。

注2:ただし,そのA5版130ページの小冊子にはきちんと ISBN 番号がついている。

 まず,最初の講演で,Vukusic(Univ. Exter, 英国)がモルフォ蝶などの生体中の周期構造に関する招待講演を行ったが,観察試料のていねいな写真を初めとして,多くの参加者が“素晴らしい”と感想をもらす,非常に好評な講演だった。その話のなかで,“生体中の周期構造は,人工的な構造を異なり,かなりばらつきの大きなゆるい周期性しかもっていない。それにもかかわらず,構造的な光学特性が出現する。”との言葉が何度も出てきたことが,私たち一般の回折光学屋にとって印象的だった。

 また,フーリエモード法のこれまでの進歩を振り返りながら,非周期的な構造への適用について説明した Lallane(Insitut d'Optique, フランス)の講演も評判が良かった。

 会議全体の雰囲気については,別分野の研究者で仕事上の関連から回折光学に接するようになった初参加者も多く,彼らを中心として,ほとんどの講演で活発な質疑応答がなされた。これまでの会議では,座長の適度な采配と参加者間の暗黙の了解の組み合わせで,予定のスケジュールからはみ出すことはほとんどなかったが、今回は,質疑応答が大幅に超過して休憩時間に食い込むことも多くあった。その場合,日本人主催の会議とは異なり,休憩時間の始まりが遅れた分はそっくりそのまま,コーヒーブレークの(勝手な)延長につながっていた。こう言った光景を見ると,休憩時間は単なる休憩ではなく,そのセッションの内容などを議論するための必要不可欠な時間なのだということをあらためて実感している。

 こうして,かなりスケジュールのつまった,3日半の会議は無事終った。実質的に,ほとんど自由時間がない状態だったので,筆者としては,もっと他の参加者と話がしたかったのに,その時間も十分にとれず,少々,欲求不満だった。大事な(秘密の)打ち合わせをする参加者たちは時折,講演会場を抜け出して相談していたようである。しかし,こういう場で,簡単に国境を越えた共同研究の話を気軽に始めることが出来る環境は,島国に住む筆者からは非常にうらやましく思えた(図3)。

 閉会の挨拶の中で,今後の会議のあり方については,Web 上で参加者が自由に議論を行い,その結果に基づいて模索して行くと言う方針が明らかにされた。“せっかくここまで育った研究者間の密接な結びつきを大切にして,定期的に会って情報交換をする場を今後も残しておいてほしい”との Li(清華大、中国)の意見に賛同する声も多かったと思う。

 この会議は Velzel(元 Philips, オランダ)の発案で,東欧・西欧間の交流を目指して“低価格で”をモットーに,1992 年に始まり,これまで,Wyrowski と Turunen(Univ. Joensuu, フィンランド)の強烈な個性によって運営され,そして発展してきた。実質的には,開催場所からプログラムにいたるほとんどすべてが彼ら二人の意思でなされて来たと言ってもあながち間違いではないだろう。しかし,近年は両名ともこの会議に対して情熱も関心も失っていることは誰の目にも明らかとなっていたため,将来に関する今回の決断は好ましいことといえる。したがって,次回は,“2年ほど先に、ヨーロッパのどこかで”開催されることを筆者は期待している。

 なお,ポーランドは昨年5月にEUに正式加盟しているものの、ヨーロッパからでもポーランドは初めてと言う参加者の方が圧倒的に多かった。ホテルの従業員や店員などのサービス業従事者の愛想が悪い,店の内外に警備員がやたらに多いと言った,過去を引きずったような部分もあるが,“予想していたより良かった”との声が多く聞かれた。

 ところで,仕事などでポーランドへ行かれる際は,市中に交換レートの良い(公認の)両替所がやたらに多いので,ワルシャワ空港での両替は到着時の必要最小限に留めておかれることをお勧めする。


以上
(表1,図1〜3:省略)