O plus E 2004年11月号 Vol.26 No.11 pp.1395

(O plus E編集部の許可を得て掲載)

15 年前にあったこんな出来事

愛媛大学 工学部 電気電子工学科 市川 裕之

 この夏,私は仕事でドイツ南西部の小さな大学,F 大学を訪れた。その際,夕食の席で学長の L 教授から聞いた話である。

 1989 年に,当時,ドイツの大企業 S 社に勤務していた若き技術者 L 氏は数名の同僚と共に,業務提携していた日本のメーカー X 社に出張した。

 ところが,成田空港で L 氏一行のスーツケースが出てこなかったのである。空港にいてもしょうがないので,とりあえず,東京のホテルに向かった。

 X 社重役との大切な会議は翌日の朝である。手元には着替えの服もなければ,店に出かけて買って来る時間もない。一行は熟慮と相談を重ねた末,予定通り,当日の会議に臨んだ。ただし全員 G パン姿で。L 氏達は,開口一番,必死になって事情説明を行い,非礼を詫びた。驚く X 社重役達は,しばし顔を付き合わせて何事かをささやき合っていたが,突然,『1 時間のコーヒーブレークにする。』と言ったなり,全員が会議室から出て行ってしまった。

 今度は,L 氏達が当惑する番である。理由はどうあれ,大事なビジネスの場にかようないでたちで臨んだのは,たしかに失礼である。しかも相手は,大事な商売相手の重役連中である。きっと不愉快にさせてしまったことだろう。そこで,朝一番のしかも1 時間という常識外れのコーヒーブレークとは,一体どう言う意味なのか。L 氏達は,何が起こるかまったく見当がつかず,不安で仕方がなかったと言う。

 そして,ちょうど1 時間後に,X 社の重役達が会議室に現れた。全員,G パンをはいていた。まるでサイズの合っていない,あたかも大急ぎで,どこからか捜して来たかのようなものを。そして,重役の一人が口を開いた。「これで,私達は同じ目線に立ったことになります。さあ,仕事を始めましょう。」

 「日本人の politeness と度量の広さには大変な感銘を受けた。このときの出来事は 15 年経った今でも忘れることができない。」と,目の前のL 教授はしみじみと語った。

 私もこの話を聞いて,もちろん,非常に驚いたが,同時に,不思議な気持ちになった。日本人が,逆に,海外でこのような扱いを受けことを聞いたとしたら,“ああ,なるほど??。”と率直に思っただろう。その時の X 社重役の方々には失礼だが,日本人にこのような機知があるとは信じられなかったのである。

 この話について,これ以上,余分な解説や感想は必要ないだろう。その夜,L 教授との夕食の終わり近くにこの話を聞き,私は,何とも言えない良い気持ちで F 大学での仕事を終え帰途についた。私自身,かつてメーカーの技術者だった。自分達と同じ世界に,こんな人々がいたことを,異国の地で耳にして,自分1 人の胸の内にしまっておくわけにはいかず,誰かに話したくて仕方がなかった。それが,今回,急いで筆をとった理由である。

 (私が知っているのはこれだけである。L 教授は固有名詞を挙げることなく私にこの話を語った。)


以上