愛媛大学学報 Vol.479 平成15年8月号 pp.8-11

(愛媛大学の許可を得て掲載)

フィンランドで学位審査を体験して

工学部電気電子工学科助教授 市川裕之

 7月4日(金)にフィンランドの東部,ロシアと国境を接するカレリア地方の中心地にある University of Joensuu(ヨエンスウと発音します)の物理学科で学位審査を行って来ましたので,その様子をお伝えしたいと思います。

 最初に,フィンランドの大学の学位のシステムを簡単に説明します。大学入学年齢は一般に18歳ですが,入試の成績や男子は兵役のため,遅れることも少なくありません。人口 520 万人に対して,大学数は 20, 進学率はおよそ30%です。学部教育は単位制で,各自が必要な単位をとった時点で Master の学位を与えられます。(Master の3/4の単位数で Bachelor 出すところもありますが,まだあまり一般的ではありません。)

 標準的な修学期間はなく,理論的には3年でも可能ですが,平均的には6年だそうです。さらに,何の学位もとらずに大学を離れる場合も少なくありません。修了時期も個人次第なので,日本的な意味の入学式も卒業式もありません。なお,ヨーロッパでは最初の学位が Master と言う国が多く,ドイツの Diplom, フランスの Diplôme も含めて各国の Master はほぼ同等とされているようです。(一般に,日米の Master は英国の Bachelor 相当とみなされています。)

 Master 終了後も勉学を続ける場合は,学生であると同時に,大学の予算,あるいは教授が獲得した研究費などによって,大学の名簿に名前が載る研究員として雇用されて,研究・教育活動に従事します。当然,既婚者,子持ちも少なくありません。ここでの研究成果,いわゆる査読付論文をもとに学位論文を執筆します。明確な数量的な基準はないようですが,私の知っている範囲では5, 6編以上のようです。したがって,ここでも所要期間は個人によって大きく異なります。フィンランドには Master と Doctor の間に Licentiate と言う中間的な学位もありますが,近年は Doctor を効率的にとらせるために,重要な分野では National Graduate School なるシステムを導入して,Master の後,直接,Doctor をとらせるケースが増えています。既に出版している論文をもとにしているということで,以前は本文が20ページ程度の簡単な要旨程度の学位論文も多かったのですが,最近は,100ページ程度のまとまった本の形にするようになって来ているそうです。なお,学位論文は ISBN 番号がついた各大学の出版物であり,国内外の図書館に送付されます。

 研究指導をしている教授を含む 2名の supervisers は,これで十分と判断した段階で,学生には学位論文執筆の許可を出し,同時に,論文の内容審査を行う2名の reviewers と最終的な口頭試験を行う opponent を指名します。いずれも一緒に研究等の活動をしていない学外の専門家であることが条件です。フィンランドの博士号は理工系の場合,通常 Ph.D. (Doctor of Philosophy) になります。全国にわずか3つの工科系大学と1つの工科系学部だけは D.Tech. (Doctor of Technology) を出しますが,名称だけの問題で,Ph.D. と D.Tech. の間には優劣はありません。

 さて,今回,私が担当したのは当大学物理学科のJS氏への Ph.D. 最終口頭試験です。彼らはこれを Ph.D. Defence と呼びます。試験を受ける本人が candidate で,審査を行う私は opponent です。つまり,candidate が完成させた学位論文を opponent が攻撃し,candidate はそれを防御するわけです。試験は,ヨーロッパの大学に良くある,劇場のように斜面の急な階段教室を使い公開で行われます。

 ここで特徴的なのは,candidate, opponent, および Defence の司会・仲裁役たる custodian の3名は燕尾服着用と言う点です。袖口はカフスボタン,前のボタンはねじで止めるような白のシャツ,白の蝶ネクタイ,黒のウエストコート,黒のズボン,英語では tailcoat と言うペンギンのような燕尾服の上着の組み合わせです。これに,夜のディナーパーティー用の白いウエストコートを加えた一式を candidate と opponent である筆者は貸衣装屋から借りることになります。その一人分一式120ユーロの費用は opponent に対しては大学負担,candidate は個人負担です。一方,custodian を務める機会のある大学の教授は自分自身の衣装を持っています。筆者の場合,事前に身長と BW を連絡して身体に合う衣装を予約しておき,前日までに貸衣装屋を訪れて,衣装合わせと着用の指導を受けました。腕時計はしてはいけないとか,座るときにはズボンの膝上の部分を上に引き上げて燕尾服の裾は後ろへはね上げるとか。ちなみに靴はピカピカ光る黒のエナメルに限ると言うことで,筆者は,海外からの opponent 用として学科で準備してあるものを借りました。誰が来ても履けるような大きなサイズの靴に中敷数枚が入っていました。本来ならば,これに加えてシルクハットもあるのですが,あまりに値段が張るので,最近は使わないようになって来たそうです。

 さて,実際の試験は,毎時15分からと言う大学の規則に従い,今回は12:15の開始でした。聴衆は通常,同じ学科の教職員や学生,candidate の親兄弟,友人が中心ですが,要は誰でも自由な服装で参加できます。今回は特に,直前にこの大学の近くで世界の光学界の重鎮も多く集めた国際会議が開かれており,会議後の行事の一つとしてこの Ph.D. Defence が事前に案内されていたため,海外からの高名な研究者も何名か物見遊山気分で参加していました。しかし,時期的に夏休み期間に入っているため,聴衆総数は50名弱と通常よりは少なかったようです。

 聴衆がすべて着席している中,会場後部の扉の外で待っている candidate, custodian, opponent の3名は 12:15 ちょうどに,その順番で入場し,階段を下りて,黒板前の正面席で聴衆に向かい整列します。そして,custodian の“試験の開始を宣言する”の一言で custodian と opponent は着席し,candidate はそのまま聴衆に対して自分の学位論文の内容を20分間でプロジェクターを使って説明します。これは presentation と言われ,非専門家も念頭においたもので,フィンランド語でなされます。(もし,opponent がファンランド人の場合は,すべての Defence 過程はフィンランド語でなされますが,自然科学の場合は,海外から opponent を招聘することも多く,その場合,presentation 以外は,英語を使います。)今回の candidate, JS氏もこの点に苦労して,前夜まで説明案を練っていたそうです。この presentation 終了後,直ちに opponent(筆者)が立ちあがり,3-5 分で,該当学問分野におけるこの学位論文の位置付けや価値を説明します(写真1)。これを statement と言います。ここに至って,candidate と opponent も着席し,いよいよ試験の中心たる質疑応答が始まります。

 実は,ここからは,筆者にとっても大切な場面です。当学科は今回審査をした“回折光学”と言う分野では理論・実験の両面で自他共に認める世界の中心であり,そこの学生・教職員や,今回は特に,海外からの聴衆の前で,バランスのとれた質問を準備して,ほどよい時間内に,適度に candidate を痛い目に会わせる事が出来なければ,“日本の市川はダメな奴だ”との烙印を押されかねません。Defence における opponent の一番重要な務めは,学位論文自体の審査のみならず,candidate が“確かに Ph.D. にふさわしい考え方や知識を身に付けていること”を聴衆に示すことです。口頭試験とは言え,学位論文の内容に関して,重箱の隅をつつくような質問を続けることは,(opponent として)評価されないと筆者は事前に感じとっていました。特に,最初の質問が大切で,過去には,『光とは何か』で質問を始めた opponent もいるそうです。このように予想も準備も出来ない,広く大きな質問に candidate が困惑し呆然とする姿や,緊張のあまり間違った答弁をすることを聴衆,特に友人達は期待しているそうです。逆に,candidate はこれをうまくこなすことで自分の力量を示すことが出来ます。

 筆者の場合は,このJS氏が学位論文の冒頭に意識的にドラマチックで哲学的な文章を並べているのを見て取って,返り打ちの意味で,『どうして人にはものが見えるのか』から質問を始めました。また,(写真2)は持参してきたサングラスを手渡して,電磁波の性質について説明を求めている場面です。このようにして,次第に一般的な質問から具体的な学位論文の内容に移って行きます。解答には後の黒板も存分に使います。今回はこれにおよそ1時間半費やしました。(大学の規則によれば,4時間以上は続 けない,とされています。)

 こうして,もう十分と言うところで,opponent が立ち上がり,それを見て candidate も起立し,opponent の final statement を聞きます。それは,“私は candidate が学位論文を成功裏に defend したことを認め,したがって,彼に Ph.D. の学位を授与することを Faculty に進言する。”と言う内容を含む短いものです。この後,candidate は opponent に感謝の言葉を述べ,続いて聴衆の方に向き直って,“希望する方はここに下りて来て質問して下さい”と言います。しかし,通常,だれもしないそうです。ここに至って,二人にはさまれて黙って座っていた custodian も起立し,defence がすべて終了したことを宣言します。そして,入場したときとは逆に,opponent, custodian, candidate の順に,また階段を上って退場して行きます。

 この後は,会場の外で,出席者全員に対して (candidate の負担で) コーヒーとケーキが振舞われます。(蛇足ですが,一人当りのコーヒー消費量の世界一はフィンランド人だそうです。)ここではもう誰もがくつろいだ雰囲気で談笑をしています。今回の candidate, JS氏は両親から花束を貰い,夫人とはしばし抱き合ったままで,感無量と言う印象でした。(家族を抱えての学位論文執筆と言うのは,筆者も経験していますが,どこの国でも大変なものです。)記念撮影(写真3, 左から custodian, candidate, 筆者)などもありました。卒業式のないこの国では,このひとときが卒業式のようなものでしょうか。30分ほどの時間が経つと自然にお開きになって行きました。

 別れ際に,JS氏の母親から“息子が大勢の人の前であなたから叩きのめされる姿を見ることになったらどうしようと,不安で仕方がなかった”と打ち明けられました。本人だけでなく家族にもものすごい心理的な圧迫があったようです。昨年,当学科で24歳前日と言う異例の若さで Ph.D. を取得したある学生は,Defence 当日,一日中,心拍数のモニターを体につけ,その測定結果をフィンランドの学会誌で報告していました。それによると,日頃から運動で体を鍛えている均整のとれた体なのですが,当日の心拍数は朝からかなり高めで,Defence 開始の12:15には一気に180まで跳ね上がっていました。

 さて,Defence が終わり,一同消え去った後,opponent の筆者と custodian を務めた superviser である教授には彼の部屋へ移動して,試験結果のまとめの作業が残っています。まず,opponent はA4, 1ページ半ほどの試験報告書を作成し,custodian は opponent の助言に基づき,(学位論文ではなく)Defence の出来具合に7段階で成績をつけます。ここでやっと学位審査の実務は終了です。そして,JS氏の名前は翌日の全国紙上に掲載されます。

 Defence の公式行事に加えて,その夜には,親しい大学関係者を招いての candidate 主催のディナーパーティーがあります。レストランなどでするのは一番,つまらないやり方だそうで,JS氏の場合は,superviser の教授が全財産を注ぎこんだライフワークにしている,完成まで何年かかるかわからない建設途中の城郭風自宅を会場に選びました。工事現場を片付けて,ディナーの出前を頼み,フィンランドの白夜の空の下,約20名一同着席したところは,まるで今は廃墟となった中世の城跡での晩餐会さながらです(写真4)。もちろん,筆者と candidate, custodian は昼間の黒から白のウエストコートに着替えた燕尾服姿で,他の招待客も男性は燕尾服にエナメル靴か黒のスーツ姿,女性は黒のフォーマルドレスでした。

 こうして日付が替わる頃,やっと私の長い1日が終わりました。海外から初めて招聘された opponent は例外なく“一生の思い出になる”と感動して帰ると言います。この一連の Defence プロセスは北欧の国々ではほぼ同様だそうですが,今でも燕尾服着用を守っているのはフィンランドだけとのことです。すでに出版されている何本もの peer-review の論文をもとにしている学位で,事前の学位論文査読審査も入っているため,最後の Defence は,良く言えば(能力の)念押しを兼ねたお披露目,悪く言えばショーですが,これをうまくこなせなかった場合は,研究者としての人生をあきらめることもあるようです。この点,私が学位を取った英国の,最初から最後まで何の審査も関門もなく,発表・論文数の基準もなく,学位論文の口頭試験だけの一発真剣勝負とは,およそ対照的だと感じました。ただし,両国で共通しているのは,あくまで学外から招聘された審査員が最終的な審査の権限を握っている,と言う点です。さあ,日本の場合と比べていかがでしょうか。ちなみに今回,聴衆の一員だった米国の大学教授は“米国では外部の者が学位の審査に加わることなどありえない”と言い切っていましたが。

 ともかく,candidate にとって(結婚式に次いで)人生で2番目に大切な日の仕切り役を務める機会を持つことが出来て,私自身,とても光栄かつ幸せです。ところで,次に燕尾服を着ることが出来る機会は,と数え上げてみました。宮中晩餐会,内閣入閣時の記念撮影,ノーベル賞授賞式,...。


以上
(写真1〜4:省略)